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漠然と設計をしたいと考えた大隅町の中学生は、高専を経て入社したNTTファシリティーズでプロ意識を学ぶ。しかし、会社員のままでは部外者としてしかかかわれない自分に不甲斐なさを感じ、鹿児島大学大学院で学び直す。そして、設計事務所勤務から独立し10年余り。柔軟な姿勢でことに当たれば新たな景色が見つかるように、まず「自分を変える」、と社是に掲げプロジェクトの創出に軸足を移す。
「常に新しい情報を取り、自己研鑽し、過去にしがみつかない働き方をしたい」。独立から今年4月で12年目を迎え、仕事の流儀になっている。掲げる社是は「自分を変える、世界が変わる」。もらった仕事をこなしつつ、プロジェクトの創出に軸足を移していく考えだ。
鹿児島市中央町の事務所を拠点に、東京、福岡、宮城、京都の4カ所にサテライトオフィスを展開。BIM(ビルディング・インフォメーション・モデリング=構想から設計・施工・維持管理等をワンストップで実現するためのデータベース)を駆使して業務にあたる。
リモートワーカーの存在は、東京等から仕事の受注につながっている。「県外に人材を求めたのは、BIMを扱える人材が鹿児島にいなかった」。認定BIMマネージャーとして、セミナーの企画や不動産活用等のコンサルティングも行う。

1983年、曽於市大隅町生まれ。「勉強をしたくなかったので、普通科には行きたくなかった。漠然と設計がしたかった」。中学生で進路を決め、国立都城工業高等専門学校に学ぶ。卒業後はNTTファシリティーズに入社し、初任地は東京の首都圏事業本部。2年目に本社(東京都)配属となり意匠設計を担当した。
2年間の本社修業が終わると、新人は全員各支店に転勤。「関東にゆかりがないなら、どこでも良いよね」と長野支店に異動し、積算や工事監理などを経験した。当時、小山高専の1期生という〝ザ・たたき上げ〟の上司がいた。
「〝NTTとか関係ねぇ。俺が所長だ〟ぐらいの、めちゃくちゃ厳しい人がいた」。それでも、「その人にプロ意識を叩きこまれた。かなりの転機でした」と懐かしく思い出す。

市田柿で知られる長野県高森町。小学校改修に向け、市民約100人によるワークショップがあった。児童の保護者だけでなく、OBや近所の住民まで参加し、侃々諤々の議論。「みんな地域の人で地元愛がある」。そこに入って話をしても、どうしても部外者としてしかかかわれない自分に不甲斐なさを感じた。
「〝僕はずっとここに居るので一緒にやりましょう〟と言えるようになりたかった」。そして、「腰を据えしっかりと向き合い、設計していけるようになりたい」。そう思ったとき、「会社にいてはできないな」と思い至った。
「だったら地元かな」。その頃、仕事で引けはとらないつもりでいたが大学院卒の同期に「設計の思想や論理的思考、ロジカルなプレゼンなど自分が学べていない差を感じ、大学は何が違うのだろう」と進学を決意。鹿児島大学大学院で「都市計画と歴史」を研究した。

鹿児島の風土や歴史を踏まえ、地元の建築士が都市形成にどうかかわっているのか。建築士から学ぶべきことがあると思ったとき、県建築士会会員の渡島秀夫氏(現・県建築課長)の知遇を得る。渡島氏の大学同期会に合わせて学生の集客を担当。今年15回目を数える建築士会のイベント「フリートーキング会」はこうして始まった。
さらに今、社是の指針に従い新たな局面を迎える。北海道を拠点に全国展開を図るSan&3.FC.HD(サンタスサンエフシーホールディングス)の傘下入りを決め、特殊造形に対応していくシナジー作りに挑戦中だ。
最近、福岡のマンションを引き払い、家族共々霧島市溝辺の一戸建てに引っ越した。「庭ができると弄りたくなった」と、車や旅行のほかに庭造りも新たな趣味に。福岡大学工学部建築学科の非常勤講師を務めるほか、今年7月から日本建築士会連合会の青年委員会委員長にも就任した。