津田和建設 深町 康宏  氏

Profile

 霧島市の天降川中流域に広がる日当山温泉郷に程近い隼人町松永に創業し、この春77年目の老舗総合建設業。現会長で先代の津田和亨氏から事業を引き継ぎ2年目の夏を迎えた。アナログからデジタルへの時代の過渡期に頭角を現し事業を承継。創業者と父親との縁が繋いだ3代目は、「地域への社会貢献」をさらにリードする。

 鹿児島湾奥に流れ込む霧島市の天降川を遡ると、東側流域には日当山温泉郷の町並みが広がる。さらに北上し、突き当たりの分岐を東に向かうと霧島川だ。そして、すぐ左手に市立医師会病院や姶良保健所があり、保健所前から右折すると白い社屋が目に飛び込んでくる。
 今年6月、創業から77年目を迎えた老舗の総合建設業。代表を務めるのは2023(令和5)年8月、津田和亨会長から事業を引き継いだ3代目の深町社長。「地域への社会貢献を通して、社員一人ひとりが同じ方向を向ける会社にしていきたい」。
 亨会長の父親にあたる操氏が1948(昭和23)年、20代で創業。深町社長によると「大工さんに木工事を頼みながら、建築工事を主体に請負業を始めた」という。その後、会社は65(昭和40)年3月に建設業許可を取得、以来、72(同47)年の法人化を経て、60年目の春を迎えた。

【朝礼風景=(6の約束事)】

 「操さんは2年ほど前に亡くなりましたが、先代を経て受け継ぐ」という「6の約束事」を披露。「顧客満足、明朗快活、プロ意識、日々精進、安全第一、社会貢献」はそれぞれ短いフレーズが付き、毎朝の朝礼で復唱される。「一番大事で、将来にわたって決して変わらないこと」と深町社長。
 一方で、「時代の変化に取り残されない」と、現場業務のDX化に力を入れる。入職以来35年、入社30年。「アナログからデジタルへの急速な時代の流れには驚くばかり」。とはいえ、「興味があり好きな分野。それが理由かも」と社長抜擢の真意を分析する。
 情報通信技術を活用したICT施工にも早くから挑戦し、県土木部の試行開始から2年後の18(平成30)年度に道路改良工事で実施。23(令和5)年度には河川工事で全面活用し、今年度は道路改良の現場で行う予定だ。

【社屋玄関口】

 実家は旧霧島町。大工の長男として70(昭和45)年12月に生まれ、89(平成元)年に県立加治木工業高校の建築科を卒業し、三菱建設(現、ピーエス三菱)に入社。バブル景気の絶頂期で「もーお、忙しくて。忙しいのですが楽しかったですね」。
 東京暮らしの5年間、現場はほぼ池袋駅(豊島区)周辺。「スタートがちょっとゆっくりで、忙しくなるとガーッと忙しく。ある意味業界の悪いところ」。朝6時から、夜中の10時11時が当たり前だった。「その分、学ぶことも多く、ゆっくりした期間に結構楽しめた」。
 93(平成5)年12月に同社を退職。「ちょっとゆっくりした後、地元で働こう」。大卒レベルに負けない自負もあった。出入りの大工だった父親の職場に遊びに行くと、当時の操社長に「もう来週から来い」と言われ、翌年2月に正式入社となった。

【朝礼風景=(構内・ふかん)】

 「操さんは父の友人で、付き合いは家族ぐるみ」。入社以来、建築専門で民間を担当し「店舗物件などがむしゃらに取り組んだ」。10年余り後、受注量の減少と厳しい予算で「体重も10㎏減少」。そして、一級建築士にとどまらず、一級土木施工管理技士の資格を取得。県の仕事を任され表彰も受けた。
 「あの頃(11年=平成23年)、最後の入社組で専務に上げてもらったのは、皆さんのお陰」と深町社長。その後、土木の現場も担当したり、忙しさも体験したりする中、土木の先輩技術者からの信頼も。かつて、霧島町議も務めた父親と隼人町長を務めた操氏の縁が繋ぐ事業承継だった。
 亨会長は5月から「地域のために」と、霧島市商工会の会長に就任。「会長はほぼ不在で、好き勝手にやっています」と笑顔を見せる。長男長女の2人の子どもは独立。「部活の応援に行く機会も無くなり、再びゴルフにはまる」。子どもに諭していた「努力に勝る天才なし」が信条だ。

更新日:2024年07月
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