
Profile
いちき串木野市に創業し、昨年4月、50周年を迎えた総合建設業。長年の経験や技術を生かし、河川からマイホームまで環境にマッチした施工にあたる。今年10月には、就任から20年目となる2代目は、「これからも〝一期一会〟を大切に、地元とともに歩んで行く」と決意を語る。県建築協会4副会長の一人。7月の誕生日で61歳。
「樽に仕込んだウィスキーがこの春丸3年。記念ラベルを貼ったボトルに詰め、お世話になった関係先に届けたい」と語る。父親で先代の幸廣氏から経営を引き継ぎ、創業50周年を祝う和幸社長。焼酎の藏元がウィスキー工場を建てる計画に、ご縁をもらったという。
同社会長の幸廣氏は鹿児島工業高校を卒業後、当時の市来町職員を経て地元の建設会社で腕を磨く。その後独立し、1973(昭和48)年4月、建築・土木を担う建設会社を設立。「地元に無くてはならない存在」、をモットーに事業を展開してきた。
今年10月に就任から20年目の和幸社長が2023(令和5)年、創業50周年を迎えた。県内商社を経て、現在、営業を担当する弟で専務の秀之氏と地元でさらに人脈を広げる。従業員の多くが母校の小・中学校では奉仕作業、また、教頭先生らも参加の「愛友会」で異業種交流が進む。

愛友会は結成25年余りで、串木野市との合併以前から。和幸社長は10年ほど前から会長を務める。「最初は顔が分からんから飲もうや」と開始。今では「飲み会だけでは申し訳ないと、生徒たちから標語を募集し優秀作品を表彰」。いちきアクアホールなどに掲げ、明るい街づくりの一翼を担う。
「病院や工場、お寺など地元のお客様に育ててもらった。地域の活性化になる事業やイベントには積極的に関わっていきたい」。サクラの名所「観音ケ池市民の森」の桜まつりでは、毎年、下草払いや提灯付けに参加。夏祭りの準備や吹上浜の海岸清掃等にも出動する。
また、50周年の昨年、SDGsを宣言し県の事業所登録を実施。太陽光発電パネルの設置や照明のLED化、木くずの堆肥化やZEHの紹介にも努める。CADやドローンの導入、クラウドによるデータの一元管理も着手。「捨てきれない面もあり、不要な情報もあるかも」と笑顔を見せる。

進学の際、「建築を勉強し、将来は家業を継ぐように」。こう諭され、東海大学に学ぶ。神奈川県の湘南キャンパスに通い、学部で建築士試験の対策ゼミを受講。ゼミの無い日は、単位と無関係の研究ゼミの講座に参加し、友人のバリアフリー調査等を手伝う。
「当時、まだ何だろうといった概念でしたね。横浜市役所等を訪ね、スロープがどこに、どれだけの勾配で設置されているのか」。小田急沿線の駅やホテル等を見て回るのが楽しかったと振り返る。
また、筑波万博とカプセルホテルの関係性について取り上げ、学生時代を回想。博覧会の来場者向けを目論む民間の簡易宿泊所(カプセルホテル)は「需要が無かったみたい。期間中に解体し、横浜の普通のホテルの専用ブースに組み立てるバイトで稼いだ」。

就職が決まっていた都内の建設会社には卒業前から研修に参加。ただ、7月までの半年間しか通勤できなかった。当時、東京都調布市で建材店を営む親戚に、健康面で抜き差しならない事態が発生。就職先に断りを入れ20日間ほど支援に入った。
一方、実家も「人手が足りない。家業を手伝え」と帰郷を促す。「就職先に戻るも中途半端だな」と決断した。本田建設に入社後、管理業務を任されるが、某大手ゼネコンと30年来の協力関係もあり、しばらく出向し先進技術を学ぶ機会を得た。
日置市や鹿児島市に支店、営業所を開設するほか、不動産等を扱うマツバラなどを展開。最近足は遠のいたがゴルフは楽しみ。一頃、余ったレンガでピザ窯を作成。地元の若手職員らとピザパーティにも興じた。「これからも〝一期一会〟を大切に地元とともに歩んでゆきたい」。