西田橋ものがたり⑤

2026年05月13日号(5面に掲載)
西田橋ものがたり⑤

道路施設としての西田橋①/長谷場 良二 南日本技術コンサルタンツ

五石橋のうち西田橋は、鶴丸城から水上坂に至る参勤交代の道筋にあって城下の表玄関としての役割を持ち、擬宝珠高欄を用いるなど贅を凝らして五石橋を代表する橋として知られており、昭和28年に県指定最初の有形文化財(建造物)に指定されている。

 ただ、西田橋は歴史的遺産という前に一つの道路施設として社会環境の変化に合わせて少なからず改変を受けながら150年間現役の橋として供用されてきた。他の4橋も同じような経過をとどっている。

 明治に入って、交通手段が人や馬から人力車や馬車に代わってくると、まず取付きの階段が石畳の斜路に改造された。そして交通量が多くなってくると太鼓状に急な橋面は通行に不便だったようで勾配を緩やかにする工事が明治43(1910)年に実施されているが,高欄や橋面敷石を一度取外して壁石を切下げ或いは嵩上げするという大規模なものであった。

 昭和に入るとバスの運行に対応して道路舗装とともに石橋の石畳にもコンクリ-トが被せられることになる。

 また、水道管等の収容については橋梁が河川を横断する唯一の施設として利用されるのは現在と同じであり、大正10(1921)年には上流側壁石要所にコンクリ-トの架台を設けて水道管が添架され、その後下流側にも電信管やガス管が添架された。いずれも平成初期までに除去されていたが壁石にはその痕跡が残っている。

 さらに、戦災で市街地の93%が焼失した鹿児島市では空襲による破壊から免れた五石橋が甲突川を跨ぐ幹線道路に位置付けられて復興土地区画整理事業がスタートすることとなる。そしてこれらの石橋に接続する道路が概成する昭和30年代後半以降、自動車交通の増加に伴い幅員の狭い石橋は都市交通上のネックとなっていく。

 まず歩車分離を図るため38年には新上橋に人道橋が併設された。西田橋でも43年に話題に上るが県教育委員会から承認が得られず、歩行者の安全確保が急務となった56年に改めて協議のうえ護床敷石等に影響のない上流約15mの位置に人道橋を建設することになった。

KCデジタル(鹿児島建設新聞 電子版)
全国どこからでも鹿児島の建設情報を閲覧できます。
2013年~本日までの全ての新聞を収録。

サンプルを見る
無料体験申し込み

Kiss Web会員になるとすべての内容を閲覧できます。
まずは1週間の無料体験にお申し込みください。
会員の方はよりログインしてご覧ください。

KissWebを知る
無料体験申し込み
Kiss Webとは?