鹿児島建設新聞

鹿越 上江川 知美 氏

Profile

 川内川河口に程近い薩摩川内市小倉町に本社を構える総合建設業。図らずも代表を承継した三代目は、竹刀製造会社もかけ持ち二刀流をこなす。夫と保護ネコと、同市で暮らす50歳。明治学院大学経済学部卒業。

 社業を引き継ぎ8年。「より公正な判断ができるよう、人の話を鵜呑みにしない」。経営を担うようになり、身をもって知ったという。人の主観に左右されず「フラットな立場から物事を見るのは最低限のこと」と指摘する。
 同社は1954(昭和29)8月、薩摩川内市宮内町の中越パルプ工業川内工場の下請労働を主として発足。祖父にあたる輔二氏が専務として支え土木事業を拡大、父の浩行氏の代で建築事業を始めた。その後、94(平成6)年8月、現在の商号に改称された。
 輔二氏は、また、事業の多角化として竹刀の製造販売を開始。事業を分離独立する形で、72(昭和47)年6月、㈱タイヨー産業を設立した。この年、鹿児島県が初めて開催した「太陽国体」にちなんだ命名だった。

工房での作業+剣道の試合

 「母を助けなきゃ。父は、また、元気になって復帰してくれるはず」。浩行氏が病に伏した際、そんな思いで帰郷し、鹿越に入社し事務の一端を担った。しかし、経営トップの長期不在を心配する社員の声を父に報告し、結果として2014(平成26)年4月、代表取締役に就任する。
 この年12月、浩行氏が逝去。「父の存命中に引継げたが、十分ではなかった。ただ、代表として皆を、会社を、守っていかなければ」と、意を強くした。
 大学を卒業後、東京で当時目新しかったインターネットやIT系の仕事に従事した。現在、建設業と竹刀製造販売を担う二刀流をこなす。さらに、少子化による先細りの懸念に対応、コロナ禍で剣道大会中止が相次ぐ中、「元々、大会を主催したかった」と、パンデミックも2年目で退潮気味となった21(令和3)年3月、「タイヨー武道具杯」を開催。小学生剣士が活躍できる場を提供できた。さらに、この春、第2回を開いて中学生まで拡大した。

橋取付け道路現場

 顧みれば「女性活躍推進のタイミングに重なり、周囲の皆様が偏見なく接して下さった」。県建設業協会川内支部の女性部会初代会長や、県産業廃棄物協会(永田雄一会長、現県産業資源循環協会)女性部会(丸山正子部会長)の副部会長も務める。また、事業協同組合薩摩川内市企業連携協議会(田中博理事長)では、まちづくりに理事として参画。
 代表就任時、「女性の代表者が少ない中で木原利子さん(㈱誠建設)と中池君子さん(㈱中池組)に声をかけて頂き心強かった。ご恩は今でも忘れられない」と振り返る。同じように、従業員とは「相互扶助の関係」にあり、感謝の気持ちは尽きないという。加えて、社員には「皆の働きに報いることが私の幸せだ」とする。
 県内の建設業も、以前にも増して女性の受け入れが進んだ。「もう少し浸透しても良いのですが、重要なのは男性女性関係無く働きやすい環境なのでしょう」。

鹿越~タイヨー産業

 まだ、はしりの「男性の育休」と、短期間で済んだとはいえ「介護休暇」まで重なった若手社員がいた。会社への遠慮からか、「進退伺い」が出たときは慌てたものの、育休制度の利用を勧めた。結果、3か月の育休を取り、「助け合える理想の環境」に近づけていることが分かった。
 「経営は七転び八起き」。思うようにはいかない。それだけに、これまでの恩返しだけでなく、会社は事業活動を通して社会貢献できる「生き物」だと認識する。剣道大会を初めて主催した昨年、6年生の母親から「卒業を前にいい思い出ができた」と声をかけられ実感した。
 それでも、「子どもはいない。会社を存続させていくためにはどうするのがベストだろう」と揺らぎもある。祖父は30周年記念の写真に納まっている。60周年は式典を開けなかったが、父は生きていた。「じゃあ、私は90周年を見てから」と考える。23(同5)年には創業70年を迎える。「百年は絶対に続けたいと思いますね。立ち会えないかもしれませんが」。100年にわたる「鹿越の夢」につなぐ手はずは、もう胸に秘めてある。

更新日:2022年07月

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