鹿児島建設新聞

ダイセン 安藤 雅史 氏

Profile

 「異業種からの中途入社で、まさか社長になろうとは」。北九州市出身ながら鹿児島大学を進学先に選択、そして人美夫人との出会いがあった。転職時には「選ぶ余裕はなかった」というが、吉田社長とは運命的な出会いになった。これからも、従業員の生活を守るため、幾度も決断は迫られるが、先代の遺志を継いで行く覚悟だ。

 鹿児島市西別府町の大峯流通団地に社屋を構え昨年12月、32年目を迎えた。民間をメーンに管工事専門で事業を展開し、入札参加基準は県がB、鹿児島市がAの格付けだ。完成工事高はここ数年、3~4億円で推移する中堅企業。現在、鹿児島市発注の空調設備改修工事が3月11日を工期に、「スパランド裸・楽・良」の現場で動いている。

事務所で従業員を撮影

 創業は1976(昭和51)年4月、先代社長の吉田豪勝(ひでかつ)氏が鹿児島市荒田2丁目で設立。社名は「大きく専門的に」とする事業コンセプトで命名された。その後、同市鴨池1丁目を経て現在地に移転。この間、全日本食品㈱(全日食チェーン)の鹿児島地区本部指定業者となり、県下加盟店スーパーを始めとした食品関連小売店等の冷凍冷蔵庫・ショーケースの設計・販売・施工・メンテナンス企業として成長した。
 先代が亡くなったのは、2020(令和2)年10月25日、82歳の現職だった。経営は46期(21年3月~)を迎えるまで黒字を継続し、「一度も赤字を出すことなく、何事にも厳しい方だった」と安藤社長。当時、常務取締役で唯一の役員だったことから、急遽、代表に。
 それまで、吉田氏は10年近くがんと闘いながら、車も自分で運転し社員を前に訓示を述べていたという。「きれい好きな方で、元気な頃は毎朝、社員と一緒に掃除もされた」と先代を悼む。社長就任は、先代の経営理念や精神を受け継いでもらいたいと、オーナー家が要請。「異業種からの中途入社で、まさか社長になろうとは」と回想する。

倉庫の冷蔵ショーケース

 安藤社長は福岡県北九州市出身。県立東筑高校から鹿児島大学(法文学部)に進学し、焼肉のたれ等で知られる食品メーカー、モランボン㈱に就職した。ボウリング同好会の活動で知り合った人美夫人とは、初任地福岡で結婚。その後、転勤先の大阪の水が夫人に合わず、「妻の両親からの求めもあって、妻側の両親の元に帰りました」。
 転職時、既に43歳。「子ども3人がいて、仕事を選ぶ余裕は無かった。異業種とはいえ食品関連」。思い返せば、「新規開拓の経験もあり、やりたいことができそうだ」と、面接で感じた。運命的な出会いになった。
 先代も「営業畑」だけでなく、福岡市の出身。店舗・アーケード等商業施設の設計・施工や関連機器の販売・メンテナンス等の事業を展開する㈱Fujitaka(京都市)で、鹿児島営業所を任された後、独立。当時は、個人商店や小売店など地域の商店街に元気があった時代。安藤社長によると「引き合いが多く忙しかったと思いますね」と、創業の経緯を推し量る。

社屋外観

 長年、吉田氏と二人三脚でやってきた安藤社長。役員を含め13人の従業員を率い、得意先400件の冷凍冷蔵食品の安全サポート(24時間365日)を主力に、先代の遺志を継ぐ。
 業界も激変する中、農業法人やネット販売、製造業へのチャレンジを見据え、人材育成の戦略を練る。「海が好き」と気分転換は、錦江湾の堤防で釣り糸を垂らし、クロダイ狙い。鹿児島市笹貫に人美夫人の両親と4人暮らし。59歳。

更新日:2022年01月

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