鹿児島建設新聞

近代産業 前村 雄一 氏

Profile

 鹿児島工業高校の建築科を卒業後、福岡の住宅設備会社に就職。その後、帰郷し、藤田建設興業に32年間奉職した。叔父の死に伴い代表に就任、170人の従業員を率いて官公庁を含むビル清掃等を展開する。メーンのホテル部門は、コロナ禍で業績は落ち込むが、事業の復活を見据え担当者との折衝に努める。経営理念は「感謝の気持ちを忘れず、一人ひとりを大切に、前進あるのみ」。

 「コロナ禍はこのまま収束に向かってほしい」。この2年近くの間、新型コロナウィルスによる感染症は既に5回にわたる流行の波を経験し、その度ごとに誰もがそう願ってきた。今も多くの分野で、人知れずそれぞれ感染症との闘いがある。そして、それはビルメンテナンス業界でも。
 同社は、鹿児島のホテル清掃で40年以上のキャリアを誇り、ベッドメイキングのパイオニアと言っても過言ではない。感染防止対策による自粛要請などからホテル需要が落ち込む中、利益度外視で定期清掃に取り組んでいる。
 「これから、またホテル事業は復活する。今こそ、これまでの感謝の気持ちを形にできる時はない」。そう言って、助成金等を活用しながら、全従業員にコロナ前と変わらぬ給与を出し、雇用を守り続けている。

清掃風景

 東京で2度目のオリンピック開催を前に、7人制ラグビーの南アフリカチームが鹿児島市内のホテルで事前合宿。入国後、選手団にも感染が発覚し、選手らは陽性疑いの1人の再検査の結果判明まで、館内の個室で待機した。この時は、無償で消毒などにあたった。
 会社は、父方の叔父にあたる前村次雄氏が50年ほど前Uターンし「これから、時代が求める事業になる」として1973(昭和48)年、創業した。中学生になったばかりの雄一氏は「格好いい名前だな。子どもながらに思った」と懐かしむ。
 きっかけは突然だった。6年前の2015(平成27)年、次雄氏が脳梗塞で倒れ、経営トップが不在に。以前より後継者として誘われていたこともあり、それまで取締役を務めていた藤田建設興業を退職、その後、専務を経て叔父の死に伴い4年前の17(平成29)年、代表取締役に就任した。
 先代の遺志を継ぐ一方、雄一氏は所属団体の鹿児島県ビルメンテナンス協会から、この4月より、大規模災害対策特別委員会委員長に選任。桜島の大噴火等に備えた機材提供や被災後の建物清掃等の采配を担う。「業界独特の経営ノウハウなど、話を聞けなかったことが残念。病気が回復し頑張っている姿を見てもらいたかった」と振り返る。

あかりの森

 県立鹿児島工業高校で建築を学んでいたころ、アルバイトとして多くの現場に出入りした。当時の記憶を呼び起こしつつ、2年間現場を経験。しかし「いろんな面で若いころとはやっぱり違った」。病気の記憶もないほど健康だったが、すぐ、はやり目(ウィルス性角結膜炎)やインフルエンザにり患したという。
 従業員は比較的女性が多い事業所だ。また、「よそ者がパッと来て、いきなり社長になったようなもの」。いろいろな反発や摩擦もあった。頼りにしていた経理担当者が突然退職し、自ら給与計算も。社員一人ひとりに目配りしつつ、現場の実態把握に努め、少しずつ信頼を得て経営の安定につなげてきた。「自らを含め、セクハラ・パワハラが起きていないか気を遣いましたよ」。
 事業所として、職場環境の改善は当然としつつ、安心安全なまちづくりで鹿児島市認定事業所として諸活動を推進。特に、子育て支援や女性活躍には力を注ぎ、保育園の設置もその一つ。「チャイルドハウス あかりの森」は、自身の次女の名前から命名。同社2人の従業員も、子どもを預け業務に専心している。

お食事準備中の保育園

 自身の子どもは、長女と次女の間に長男の3人。みな独立しており、休日は、孝子夫人とウォーキングや温泉巡りで鋭気を養う。温泉郷は、県内ほぼ全域に足を運び、お薦めは硫黄泉がいいと言う紫尾温泉。鹿児島市出身。11月に満61歳の誕生日を迎える。

更新日:2021年10月

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