鹿児島建設新聞

ロードエンタープライズ 島田 隆夫

Profile

県立伊集院高校から協和銀行(現りそな銀行)に就職。その後鹿児島市農協の営業を経てロードエンタープライズに転職。主に経理畑を歩み1994年(平成26年)に5代目社長に就任。鹿児島県交通安全施設工事業協会副会長、社団法人・全国道路標識表示業協会九州協会監事。好きな言葉は忍耐、誠実。現在、日置市東市来町に母親と2人暮らし。同町出身の65歳。

 同社の設立は1966年(昭和41年)10月。初代社長は榊芝夫氏。2代目には地元でGSを経営する福元美治氏が就任、警視庁出身で3代目の田口新一氏、4代目の堂園喜朗氏へと引き継がれ、本格的な車社会の到来もあり、交通安全施設業者として発展を遂げてきた。創業の伝統を守り受け継ぐ老舗企業。
 会社設立のきっかけとなったのは、「これから本格的な車社会が到来する」という歴代社長らの〝先見の明〟があった。そのためには、まず経営のノウハウを確立し、材料などを仕入れるためのルート開拓、技術の確立が不可欠だった。そこで神奈川県のメーカーと取引を開始、コツコツと実績を積み上げてきた。
 道路標識と言っても案内標識、規制標識など多種多様。歴代経営者が市場の変化を見極めながら増資を行い、「技術と安全を売る会社」として成長してきた。そこには的確な新規事業登録、道路標識製造、金属加工、交通安全施設の設計製造、販売、加工を担う、先駆者としてのプライドが見える。

串良鹿屋道路

 経営理念は、道路交通環境の整備を掲げての地域との労使共栄。 同社の事業は大別すると、モノづくり、設置工事に分かれる。このため精度の高いモノづくりに加え、経験に裏打ちされた迅速で正確な熟練の技が求められる。そこで創業以来、社員の資格取得に力を入れ、技術の向上に努め、時代のニーズに対応した設備の拡充に努めてきた。
 特に資格取得では、土木施工管理者をメインにした各種技術のレベルアップに注力、専門業者に求められるプロを育てた。

サンセットブリッジ等

 薩摩川内市入来町にある鹿児島工場には7つの工場棟(敷地面積17000㎡、延べ床面積 3953㎡)があり、デザインポール・門型柱工場、部材加工工場、一般F型・逆L型柱工場、オートボーラー、門柱クレーン、アルミスポット溶接機、真空加熱圧着機、油圧式シャーリング、アイトレーサーなど最新の機器を備えた工場がある。設計・製作・設置までのシステム化で、作業の合理化、スピード化によって各種工程の一貫性を図るもので、多様なユーザーニーズに迅速に対応できる体制を整えている。整備車両は9台を保有。
 こうした一方で全国の道路新設件数は年々減少してメインの道路標識の受注が減るなど市場環境が厳しくなり、同社でも2002年(平成14年)には合理化(人員削減)を行い、法面保護、橋梁補修などの新規事業分野に参入、事業のバランスを図ってきた。

川辺道路

 島田社長は「県の格付けランクを上げるためには安定した資格取得、工事実績など会社としての総合評価を上げることが今後の大きな課題」と語る。
 市場環境は、道路標識の高輝度化、大型化、可視化、バリアフリー対応型信号機の設置など日々進化する車社会への対応を迫られており、これらをクリアするための課題も多い。「人間関係、情報の共有、先取り、日々の勉強と、やることは増えている。弊社社員の平均年齢は52歳。定着率はいいが、先を見据えた人材確保、働き方改革など直前に迫った課題もある」と、冷静に現状を検証する。
 これまで思い出に残る事業は、かごしま北ふ頭近くの案内標識、運輸省直轄の鹿児島空港の道路標識新設作業、熊本県人吉市の九州自動車道の標識設置工事などが記憶に残る。一基当たりの重量が約10㌧もある標識を夜間の交通規制を行いながら40㌧の大型クレーンで吊り上げて設置する工事で、昼夜を分かたない深夜の現場管理は厳しく、「苦労したが今となっては良き思い出」と、交通安全を陰で支えてきたプロの標識マンたちの間で今でも語り継がれている。
 社名のロードエンタープライズには、先人たちが未来に賭ける〝道の先駆者〟としての思いが込められている。

更新日:2020年9月

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