鹿児島建設新聞

鹿児島道路サービス 上原 徳正

Profile

昭和49年、福岡大工学部土木工学科中退。自分で会社を興すつもりで民間の土木会社に就職、橋づくりなどの仕事に携わった数年後、現在の会社へ。現在、4代目社長。趣味はゴルフ、読書、山歩き。好きな言葉は「和」。業界関係では、県法面防災協会会長、県道路降灰除去協会会長などを務める。家族は息子2人の4人家族。現在、妻・洋子さんと2人暮らし。鹿児島市出身の70歳。

 同社は昭和51年6月の創業。同年11月に建設業の県知事許可の認可を取得。同52年4月に指宿スカイラインオープンに伴い料金徴収業務を鹿児島県道路公社からの受託を手始めに、昭和52年頃より桜島の噴火活動が活発な頃で、大型ロードスイーパー、小型スイーパー、散水車等を導入、道路降灰除去事業を本格化させ、同53年7月には活動火山対策特別措置法に基づく鹿児島県、鹿児島市の道路降灰除去事業を受託した。経営理念にもあるように、「人と道と」に関わる仕事が同社のベースになっている。
その後、法面保護工事、交通安全施設工事、構造物補強補修工事、道路維持工事、造園工事、料金収受業務など関連業務を次々に拡大、専門工事業のスペシャリストとして順調に業績を拡大してきた。

人と道と

 創業以来、安全・高品質を念頭にプロ意識を掲げて、道路という社会インフラを支える専門集団。地味だが、道路行政を進める上で、不可欠な存在。時代とともにコツコツと、社員一丸となってその道を極めてきた。平成27年6月には創立40周年の歴史を刻み、〝道〟一筋に貢献する企業として、揺るぎのない着実な歩みをしっかりと進める。
 4代目社長として舵取りを任された上原社長は、昭和49年、市内の土木建設会社に就職した後、昭和56年この会社へ入社する。とにかく体を動かすのが好きで、「スコップ一本で食っていける」と、この仕事に惚れ込んだ根っからの土木マンだった。仲間から「加勢してくれ」と頼まれれば嫌とは言えない性格。4代目として、社員の資格習得、技術のレベルアップなど会社の基盤づくりに奔走した。県内、県外業者がせめぎ合う中で、分離発注の確立に向けても取り組みを強化した。

ロードスイパー

 一言で道路工事と言っても、法面保護工事、交通安全施設工事、道路維持、補修補強、造園と多岐に渡る。道路事業にとっては、どれ一つも欠かせない業務。社員には土木施工管理技士、法面施工士、グランドアンカー施工士等の資格取得を奨励、「資格が生きる」と言い続けた。業界においては専門工事業として各協会の位置付け等に苦労してきたが、各方面の方々の御協力、協会員の一致結束で難局を乗り切ってきた。
 会社設立のきっかけとなった指宿スカイラインの通行料金収受業務。現在、山田料金所で40人の職員を抱えている。新型コロナで感染者を出すと、通行止めを余儀なくされ、仕事に支障をきたす。「一番気を揉むし、業務上の責任を感じる」と、感染者防止に万全の態勢で臨む。目に見えない敵(コロナウイルス)に、最大の危機意識を持って立ち向かう。「大きな責任がありますから」と、気を引き締める。

法面工事

 会社の課題は人材不足。「とくに若者がいない。ハローワーク、学校、募集をかけてもなかなか集まらない。給料と若者の都市志向。しかしながら、高い家賃と交通費。都会は若者にとって暮らしにくい。逆に田舎は暮らしやすく、いろいろメリットがある」と強調する。
社員が「鹿児島道路サービスに勤めてよかった。卒業してよかったと、心から思い感謝される企業にしたい」と、目指す企業像を熱く語る。
思い出に残る事業、現場は、鹿児島市立美術館の石垣の高さを2m下げる事業。市民目線から見るとどうしても〝遺跡〟というイメージがあり、「なぜという疑問が湧いたのでしょうね」。「その時の対応が難しく、苦労しましたが、関係者の声に耳を傾けることで、なんとか解決しました。行政も含めた徹底したコミュニケーションで完成した時には感激しました」。施工区間は国道の歩道沿いが60m、城山側へ約40m「現場で実際に自分で石積み作業もやりました。土木屋としての本領発揮を肌で感じた瞬間でした」と、語る姿には技術屋のプライドが滲む。
まさに道路一筋の人生。〝スコップ一本から〟の気概を持った土木マンは、「道路を通じてインフラの構築に賭けた人生に悔いなし」と、胸を張る。

更新日:2020年6月

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