Profile
鹿児島中央高校、拓殖大学商学部貿易学科卒。2級電気施工管理技士など所有。業界関係役職は鹿児島市電気工事組合理事。趣味はゴルフ、釣り、旅行。好きな言葉は、温故知新、義理人情。子どもは3人、孫は8人。現在、妻と2人暮らし。鹿児島市出身。68歳。
同社は昭和29年に父・昭氏が旧国鉄、九州電力、鹿児島市交通局、電気工事会社向けに信号、蓄電池などの電機資材の販売を目的に立ち上げた。戦後の復興需要期で専門に特化した資機材が好調で、それなりの需要があり、順調なスタートを切った。昭和56年には電気工事業に進出、交通信号、鉄道信号をはじめ道路照明設備、道路情報板、可変標識などを取り扱うようになり、日本信号・GSユアサの鹿児島総代理店として公共性の高い施設の直流電源装置、無停電電源設備など、インフラ整備の一翼を担う企業に成長した。
経営理念は、先代からの社是である「積極・責任・礼儀」。何事にもチャレンジ精神で前向きに責任を持って、一人の人間として礼を失しない人間性を重んじる姿勢を大切にする。そこには、インフラ整備の一翼を担う企業としての「産業報国」の旗印と、思いがある。鹿児島に帰郷当時の昭和53年の社員数は、3、4人。創業当初は電気資材の販売を主体に顧客を拡大、実績を積み上げてきたが、取り扱い商品が特殊な資機材だったこともあり、市場の需要も少なく、一時期じり貧状態に陥った。この間、会社の事務所も高麗町から城南町に移転した。昭和56年に建設業の許可を取得、電気工事業に進出した。昭和60年には城南町に資材倉庫を設置した。
洋介氏は大学卒業後、海外雄飛の夢もあり、しばらく東京にいたが、父親から「帰ってこないか」と、声がかかり帰郷。「自分の好きなようにやりなさい」と言われ、営業からスタート。大学が商学部だったこともあり、まったく技術的なことが分からず、先輩社員に「教えてください」と頼み、一から勉強した。仕事では高所作業車が必要になったが、零細企業ではとても買えるわけもなく、電電公社(現NTT)に、毎日のように借りて仕事をこなした。この間、「高所作業車は自社の所有物という認識を共有、毎日点検を怠ることなくきれいにして責任を持って返す」という管理を徹底するなど、最終的に払い下げてもらう緊密な関係を構築した。日々の営業努力と信頼が実ったケースで、この時営業の基本、大切さを学んだ。日参の苦労、熱意が実を結んだケースで、父親の昭さんから「よく辛抱し、頑張った」と、褒められた。
目指す企業像は、地域社会に貢献でき、業界に誇れる企業。本格的なデジタル社会を迎え、より一層の安全・安心・快適化が問われる中、将来のインフラ整備を見据えて、専門に特化した事業に磨きをかける。
更新日:2020年2月