Profile
阿久根高校(現鶴翔高校)普通科卒業後、地元の製造業に就職。その後友人の声掛けもあり川床石油の設備部に就職。設備工事部を経て土木工事部、取締役工事部長から代表取締役。1級土木施工管理技士、1級管工事施工管理技士、1級舗装施工管理技術者、ガス設備士の資格など取得。1人ひとりを大切にする地域密着、顧客密着経営にやり甲斐を感じる。趣味は釣りとゴルフだが「釣りは現在休止中」。長島町平尾出身の42歳。
ある日、創業者の牧一行会長をよく知っている共通の知人から「行ってみないか」と声を掛けられ、就職したのが現在の会社。勢いのある会社で仕事は忙しかったが、アットホームな雰囲気の中で、自分の性にも合っており、懸命に資格などを取得しながら仕事を覚えた。
「地場企業で知り合いが多かったこともあり、仕事の大小を問わず充実感、達成感があった」と振り返る。ガソリンスタンドの店員としてスタート、設備部門に異動になってからは、プロパンガスの配送など顧客1人ひとりの家を巡回することも多くなり、地域・顧客密着の大切さなど仕事の原点を学んだ。
元々同社は、創業者で現会長の牧氏に鹿児島市の井上商工から「閉鎖になっているガソリンスタンドを購入してくれないか」と声がかかったのが始まり。そのガソリンスタンドの復興を足掛かりにプロパンガス事業、各家庭の炊事場などを改修する設備工事をする大工仕事に関わったのがスタートで、昭和46年に会社を創業した。その後、水道工事業の許可を取り、次々に事業を拡大、時代の波にも乗り、トイレ・浄化槽工事などに参入。昭和63年に土木工事業の許可を取り、総合建設業に本格参入した。
牧会長の実家は、もともとは農家。出水市に本社のある桑木組の土木作業員として働いていた頃、「手伝ってくれないか」と声を掛けられたのがきっかけで、建設業を始めた。
阿久根市と長島の黒之瀬戸を結ぶ全長520mの黒之瀬戸大橋が開通した頃で、農業構造改善事業でみかん畑の造成が盛んで、10㌃以上の山を切り拓くのに3〜4・5万円の補助金が出る時代。島は猫の手も借りたいほどの忙しさで、工事業者が重宝された時代。橋の開通に伴い、島の生活も大きく変容を遂げ、橋が大きな経済の起爆剤になった。そんな中で住民の生活をサポートする面倒見のよさが生かせる事業に参入したことが大きかった。
「お客様の声に耳を傾け、お客様が何を望んでおられるのか、お困りごとは何か」など、しっかりお聞きして対応する御用聞き戦略を徹底したことで、信頼関係が一層強くなり、会社の経営理念も「地域に貢献し、地域に愛される企業へ」と変化を遂げ、「若者から選んでもらえて、なお且つ定着してもらえる企業」へと、社員全員で考える理念が定着した。
更新日:2019年12月