鹿児島建設新聞

渡辺組 渡辺 紘起

Profile

都城市の泉ヶ丘高校、九州産業大学経営工学科卒業。大阪の会社で商人(あきんど)としての精神論を1年間学ぶ。家業を継ぐためUターン、串木野営業所勤務になり、所長として経営が傾いていた港湾事業の田中組の再建に関わった。その後、36歳で2代目の社長に就任、建築、土木全般、港湾事業など総合建設業としての事業を拡大。グループ会社12社の役員・社員数250人、パート・アルバイト350人、合計600人。グループ全体の売上高は170億円で、業界屈指の企業グループに成長させる。趣味はゴルフと雑学の勉強。現在、光子夫人と2人暮らし。曽於市末吉町出身。75歳。

 渡辺組は、父親の信雄氏が戦前の左官工事などの経験をもとに創業。終戦を迎え復員後にこれからの建築需要を見込み、昭和26年8月に曽於市大隅町岩川で会社を立ち上げた。「人材、資金なしのスタートで苦労した」と聞いている。
 弟子5人を抱える左官の棟梁として職人を育てた。創業から2年後には総合建設業として登録、一代で実績を積み上げ大隅地域での知名度アップに努めた。「真面目にコツコツ積み上げる経営」をモットーに戦後の貧しい時代をお客様と共に生き抜いた。経営理念は「幸福追求」。人を育て、技術を育み、ふれあいを大切にする社風確立に向けて経営基盤の強化を図る。社員を前にいつも「私たちが築いているのは信頼です」と、強調する。

 「昔は貧しいうえに子だくさんの家庭が多かった。父も8人兄弟で苦労したと聞いています。そんな中で、裸一貫で経営基盤を築いてきた父を褒めたい」と、紘起会長。社訓では豊かな人間性を養い、その人間性のもと誠心を込めた製品を社会におくり、社会から信頼される企業となると定義づける。「お客様からだけでなく、社会から信頼される企業でなければならないというのが父の口癖だった。信仰心も強く、新築した家に仏壇をプレゼント、喜ばれていたようです。企業の使命は社会還元と地域貢献と、よく言ってました」と、亡き父を懐かしむ。

完成写真1

 信雄さんは兵役時代、物資の調達を行う会計隊に所属、数字に強く、この時の経験が経営のベースになったと言う。「その精神は遺伝子として今に受け継がれている。大切にしたい」と2代目。同社が手がける事業は個人住宅から店舗、各種施設、病院、港湾事業と幅広く多岐にわたる。創業以来培ってきた技術革新と人材育成は、堅実な施工、スピーディーな顧客対応となって見事結実した。
しかし、厳しい環境の中、前向きに取り組んでいた経営を昭和48年の第一次石油ショックが直撃する。政府の総量規制、銀行の窓口規制によって資金繰りに追われた。経営は自転車操業を余儀なくされ、倒産寸前の危機に陥った。かつて経験したことのない最大の危機で、知り合いを頼っての緊急輸血(融資)でなんとか窮状を凌いだ。それ以来、銀行を頼らない経営に切り替え、自己資本の充実・強化を経営の柱に据える。「まさに歴史の転換点だった。利益がなければ事業は運営できない。生きざまが変わった。世の中いつも平穏ではない。浮き沈みがあるのが世の常。油断があった」と、自分を戒める。自己資本比率の重視、将来の経済変動に向けて蓄積、備えと投資の重要性を再認識して前へ進む。

 最近の建設業の現状については「小規模公共工事の応札額が各社とも同じような専用ソフトを用いてぎりぎりの水準で見積もるため十数社の提示価格が100円単位まで同じになり、大半が結果的にはくじ引き(抽選)という事例も珍しくない。落札結果はふたを開けるまでわからないということもあり、最近の建設会社は、落札を『当たった』と表現するらしい。まさに神に運頼みの世界になっているような傾向さえ見える。正しく競争原理が働く仕組みにすべきだ」と、苦言を呈する。財政難と人口減で、今後も増える見込みのない公共事業。無借金経営の会社が廃業相談に訪れるケースも出るなど、地方建設業の将来は見通せないと危惧する。

港湾工事

 後継者問題では「子息を大手の建設会社に就職させる経営者が多い。私に言わせれば、これは大きな勘違い。同規模程度の異業種企業にこそ学ぶことが多い。それは、他業種に身を置いてこそ自分のいる建設業界のことがよく見えるようになる。視点を変えることで経営の切り口を大胆に変えられる。モノの見方、発想、考え方には裏と表があり、いろいろある。それを理解することが学ぶということだ」と、意識改革と異業種への選択を求める。 働き方改革の一環として、いちはやく職場の中に女性社員で組織した「5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)小町」を誕生させ、女性目線で現場パトロールを行うなどユニークな活動を展開。今年のスローガンにスマイルアップを掲げ、明るく、楽しく、元気よくを職場一体となって実践している。

社屋写真

 経営が安定してきた昭和57年、グループ企業として健康産業にも参入、メルヘンスポーツを設立した。「2代目として自分の経営手腕を試してみたかった」というのがその理由。実際に立ち上げてみると、多くのメリットがあり、それまで見えなかったことに気づかされる。「さまざまなことから経営のノウハウを吸収する充実感がある」と、白い顎鬚をさすりながら笑顔を見せた。70歳を過ぎてから、そのスポーツジムを利用して足腰を鍛えるのが日課となっている。毎朝、自分でアイロンを掛けた折り目のついたズボンを履いて出勤する。令和元年8月に69回目の創立記念日を迎える。12社のグループ企業を率いる総指揮官は、きょうも元気だ。

更新日:2019年7月

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