鹿児島建設新聞

田島組 田島功輔

Profile

国士舘大学体育学部卒業後、会計事務所を経て家業を継ぐため同社に入社、品質管理室長、常務取締役などを経験し4年前から4代目社長に就任。大学時代には空手の関東地区選手権個人組み手の部(65kg級)で優勝したこともある。空手は三段の腕前、現在も薩摩道場空手道スポーツ少年団(全空連・和道)のコーチ。薩摩川内市商工会青年部長、建設業協会青年部会宮之城支部長など役職も多い。趣味は、ゴルフとドライブ。会社所在地は薩摩川内市入来町副田2186−2。教子夫人と2人暮らし。同市出身の40歳。

北薩地区を中心に、幅広く建設業を営む田島組を率いる。有事の際に迅速に機動力を発揮する総合建設業を売り物にしている。創業者で曽祖父の金助氏が亡くなった年に生まれた4代目は「歴史と伝統の上に新技術を導入しながら地域と共に歩む共生企業を目指し、地道に確実に一歩一歩を積み上げたい」と、自然体の経営を強調する。

これまで3代に渡って築いてきた歴史と業績の上に時代にマッチした新基軸を加えながら10年後には節目の100周年を迎える。「この時期に巡り合えたことはチャンス。まだ明確にはなっていないが何かをやり遂げたい」と、次の戦略に闘志を込める。今も同社玄関口にある創業者金助氏の銅像が毎朝出勤する社員を温かく見守る。

同社は、昭和2年に金助氏が社会インフラ整備に貢献できる企業を目指し個人創業。管内に降雪などで凍結する難所の国道328号の入来峠を抱えていたことから、有事にすぐ動ける土木会社として欠かせない存在で、地域とともに成長してきた。今でも地域の道守り企業としてその先頭に立っている。

田島組と言えば、地元では知らない人はいない老舗企業。企業理念は顧客ニーズに誠意を持って応えられる「信頼と満足の高い」会社。会社は祖父の忠志氏、父の賢一氏へと継承され、賢一社長の時代に品質・環境のISO、労働・安全・衛生のOHSASの認証も取得、磐石の経営基盤を築いた。さらに「企業が成長していく上では、新しい血も必要」と、社外から伊東賢蔵氏を迎え入れ、経営陣の一角となる専務取締役を任せるなど基盤固めも強化している。

公共9割、民間1割。業種別では土木8割、建築2割の構成。舗装、河川、改良、砂防、橋梁、建築、トンネル、港湾など全ての工事に対応できる総合建設業。特に主力の土木、建築、舗装は、県の資格ランクA。中でも舗装工事分野は創業以来大切にしてきた〝道守り〟としての思い入れも強く、全て直営で行なっている。どんなに忙しくても約10人の舗装班を特別に組んで対応、迅速な機動力を発揮する。

現場写真1

常に幅広い業種(工事)に対応する中で多様性が求められる総合建設業。技術スタッフの資格取得、技術向上へ向けた各種研修・講習会なども積極的に参加、重機など車両の管理も含めて普段から「凡事徹底」を欠かさない。防災協定の締結、有事の際の出動など、常に「地元企業」という宿命も背負っており、日々技術を磨くという姿勢を大切にしている。

入来峠のある国道328号線は、今でこそ道路や橋梁の改良・整備が進み、車は快適に走れるが、雪の時は路面が凍結するなど通行止めになることも多い。昔は、峠の頂上付近にバスが一旦休憩する場所もあり、交通の難所として知られる。その道守りを担っているのが同社。毎月一回、社員総出で行なう清掃奉仕作業は創業以来欠かさず、今では同社の伝統行事的存在になっている。

現場写真2

経営の基本は、安全・品質・利益の向上。同社の場合、これに「地域と共に」という文言がついて回る。

タイミングよく昨年、川内青年会議所(JC)の理事長を務め、64人の会員をまとめた。「勉強になった」と、振り返る。

建設業界は、バブル期から続いたハコモノ行政が終わり、2000年ごろから厳しい時代を迎え、担い手不足などが課題。若い人の離職率も高い。「弊社も先代と社員の努力で、ここまで継続できた。市場を読み、業界動向を掴み、着実に積み上げる経営に専念したい。経営理念も時代にマッチしたものに変えたい。若い人にはモノづくりの魅力、楽しさ、物事の本質を教える中で、地道に魅力を発信したい」と、老舗企業の4代目らしく、継続・維持することの重要性を説く。

更新日:2017年1月

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