鹿児島建設新聞

橋口組 橋口知章

Profile

川内高校、近畿大学工学部建築科を卒業。広島市の中原建設に3年間勤務後、節男前社長が病気で倒れたため帰郷。現場主任、営業部長、専務取締役を経て平成9年に二代目社長に就任。趣味はクロ釣りとゴルフ。好きな言葉は、「天命を信じて人事を尽くす」。資格は、一級建築士のほか一級土木施工管理技士、宅地建物取引士などを所有。現役で設計図を書く。

川内商工会議所副会頭、薩摩川内建築建友会会長などの要職も務める。5人家族で、現在は人美夫人と娘さんの3人暮らし。脚本家の小山内美江子さんは、人美さんの親戚。会社所在地は同市西開聞町15‐11。同市出身の60歳。

完成写真1

「建設業は世の中になくてはならない仕事。競争相手も多いがやり甲斐がある。形をつくる仕事は楽しい」と、二代目は中核企業の経営を自然体で引っ張る。とくに官庁、民間の工事比率が逆転する時代に入ってからは、分野ごとにバラつきが生じないよう市場を分析しながら、それぞれの事業のニーズと変化を見極めて安定経営に力を入れる。「筋を通して真っすぐ歩け」という創業者の意思を受け継いで…。

応接室に入ると「創業の獅子たち」と名づけられた写真が目に飛び込む。会社の立ち上げ期に活躍したスタッフ約20人の紹介写真。日々、創業者の思いを胸に刻みながら、伝統・歴史を大切にする同社ならではの強い意志が伝わってくる。

父の節男さんは、若い頃零戦のパイロットに憧れた少年だった。夢はかなわなかったものの三菱の長崎造船所勤務中に米軍の原爆投下に遭い、閃光の中を命からがらくぐりぬけ、死体の処理作業に当たった経験も。ものづくりが好きだったことから17歳の時に帰郷、有名な大工の棟梁に弟子入り、3年間の修業を経て戦後まもない昭和25年に橋口組を立ち上げた。

戦後の復興期。甑島の仕事では、木材をいったん船で運び、あとは一本ずつ人力で担いで山を越えるなど一昼夜かけて作業をこなしたこともあったという時代。「創業の獅子たち」の写真には、半纏(はんてん)を着た当時の粋な職人が写っており、今も橋口組を見守る。

「父は仕事を覚えるのが早く、先見の明があったのでしょう」と、知章社長。ピーク時には製材所も経営、指物大工、型枠大工など100人を超える従業員を抱え、まさに地域の中核企業として発展してきた。知章社長は、仕事には人一倍厳しい、そんな父の姿を見て育った。

仕事は筋を通して真っすぐ歩け—を仕事訓にしていた節男会長は、平成19年に知章社長の仕事ぶりを見届けるかのように79歳で他界した。

完成写真2 二代目として社長に就任した知章社長は、創業者の起業の思いと仕事訓をベースに「顧客第一主義」を掲げ、「誠意、創意、熱意を持って顧客、地域社会から喜ばれる建築物を提供し、顧客との新たな歴史を情熱を持って構築する企業」を理念にしている。この理念は、平成16年に経営計画書の作成時に社員と一緒になって考えた。

好きな言葉は、義理人情。決してお人よしということではない。持ちつ持たれつの社会。「お世話になったところにはお返しをする。だから地元のために一肌二肌脱ぐ覚悟が大切」と、地域密着を強調する。

安心・安全の工事と、安心して働ける職場づくりを原理原則にしている。「現場はショールーム。だから鹿児島県で一番きれいな現場を目指そう。整理整とんを心掛け、どこの現場でも手戻り工事がないように親切・丁寧な説明、基本に立ち返った作業が重要」と、安心・安全にかける思いは強い。

建築業がスタートだけに一人ひとりの顧客を大切にする想いも強く「みんなも、社員も幸せにならないといけない」と、説く。

仕事に対しては「常にいい勉強という挑戦の意識が必要。苦労をいとわない気持ちと、仕事のためには身を惜しまない情熱が求められる」と、地域の中核を担う経営トップらしく自信を込めて語る。

工種は、土木、建築、大工、とび・土工、屋根、電気、舗装など。民間9割、公共1割で、直近の完工高は約22億円。当面の課題は職人不足(建築の現場監督)への対応と、土木業のランクアップ。何事にも一生懸命で、自然体で社員34人を全力投球で引っ張る。建築では、ユーミーマンションのFCにも加盟している。

更新日:2016年8月

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