鹿児島建設新聞

ヒラヤマ 平山政壱

Profile

高校卒業後、幼稚園の送迎バス運転手などを経て不動産会社に就職。父親の死去を機に出水市に帰郷して平山商会を創業。産廃収集運搬業などの許可を取得、㈱平山商会に組織変更。2006年4月に現在地に本社を移転、㈱ヒラヤマへ名称変更。家族は子ども4人で、現在は妻の千鶴さんと2人暮らし。趣味はゴルフと釣り。好きな言葉は、チャレンジ。会社所在地は出水市平和町1012。同市出身の52歳。

仕分け作業

ごみはごみ。作業の最後に残り、捨てられる存在。それを集めて適正処理・リサイクル化を通じて資源化する回収事業。「昔は、あまり見向きもされなかった存在。そこに目をつけて辛抱強く取り組んだのが創業の当初。2tトラック一台で回収、毎日、母と妻の3人で手作業による仕分けをしていました」と、当時を語る平山会長の目には、うっすらと光るものが…。今でこそゼロエミッションが声高に叫ばれる社会だが、さらなる循環型社会へ向けてさらなる飛躍を誓い、九州を視野にエリア拡大に力を入れる。

同社は、非鉄金属の回収から始まり、産廃処理—解体業—土木—運送—中間処理—有価資源再生—建築と、業務内容を拡大、時代のニーズ、変化に合わせ成長してきた。

出水市で山師の仕事をしていた父親の青民氏が平成6年7月に病気を患い70歳で他界。その年の8月「生活に窮し、とにかく何か始めないと」と、切羽詰まっての選択だった。手持ちのお金をかき集め購入した中古の2tトラックを頼りに平山商会として個人創業した。

最初は、ごみ置場に捨てられた有価資源(鉄くず、電線の切れ端などの配線)を所有者の了解をもらったうえで回収、絶縁のビニールなどを取り除き、売る仕事からスタートした。仕分けるとごみが発生し、その処理に困るため、全部きれいに始末する約束を取り付け、ごみとして持ち帰った。週1回、月2、3回のペースで持ち帰るため双方にメリットがあり、歓迎された。

譲り受けた鉄くずなどは土場に集積、仕分ける。腰を曲げ、長時間しゃがみ込んでの作業は根気のいる大変な重労働。捨て場には、ごみもどんどんたまる。自らも寝る間を惜しんで働き「母にも妻にも苦労をかけました。ただ感謝です」と、創業当時を振り返る。

解体工事現場

当時、電線の地中化、管路敷設工事の大型工事が盛んな頃で一定量を確保、仕事は軌道に乗り始めた。分別した銅線などが高くで売れ、年間4〜5000万円を売り上げる時期もあった。

そうこうするうちにクレーン付きのトラックなどを計画的に購入し、収集運搬事業にも参入した。さらに専用のコンテナを回収先に設置して定期的に集める方法を構築。回収先も安定して増加、事業量も急拡大した。会社の車両の色も父の名前にちなみブルーに統一してイメージチェンジを図り、家やビルの取壊しによる、がれき処理の収集・回収態勢も整い、産廃事業にも本格参入した。

こうして鉄くず回収から始まった家内工業的な事業は、廃プラスチック、木、紙、繊維、陶磁器くずまで種類を増やし、産廃中間処理、一般廃棄物中間処理、産廃収集運搬、特別管理産廃収集運搬業の免許を相次いで取得、許可品目の廃棄物90%以上の再資源化を実現する企業に成長した。エリアも鹿児島県内だけでなく、熊本、宮崎、大分県へと拡大、大きな工場規模の事業所になった。

規模拡大の大きな節目となったのは、第一上水流、第二浦田リサイクル処理場、第三平和総合リサイクルセンター(総敷地面積45000m²、一日当たり処理能力は約1000t)の開設と本格稼動だった。地元住民との話し合いは、「ごみの不法投棄につながる」「変なものを燃やすのでは」と、なかなか理解が進まず、難航した。しかし、粘り強く循環型社会構築の理念や処理方法の安全性などについて根気強く説明、同意を取り付けるのに3年かかった。

工場全景

そこで得た教訓は、地場企業として根を下ろし、地域住民・地元と対話し調和する心。社会をきれいに、感謝の心を持つ、行動を形に、人と地域に愛される社会貢献企業が同社の経営の原点になっている。

創業時の原点を忘れることなく、「豊かな自然と限りある資源を守る」とのスローガンのもと「埋めない、燃やさない、もったいない」がモットー。環境開発事業、工事事業本部からなる二本柱。社員数はグループ全体で80人。直近の工事完工高は、6億4500万円。グループ全体の売上高16億円。

更新日:2016年7月

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