鹿児島建設新聞

ヤマシタジムキ 樺山 秀一 氏

Profile

 地元の大手商社勤務を経て入社し、代表就任から7月で11年。オフィス家具やデジタル印刷機を主力としつつ、DXを見据えた事業を展開する。そして、60有余年にわたる企業実績と、その響きを生かしたブランディングへの挑戦に力を入れる。

 山下事務器からヤマシタジムキに。2019(令和元)年7月の社名変更から丸4年。「山下さんちの事務器屋さん」から脱却を図ろうと、ブランディングに挑戦している。「漢字はその意味と無関係ではいられない」と、イメージ戦略を打ち出す。
 同社は1957(昭和32)年4月、鹿児島市武町に旧川辺町出身の山下國雄氏が創業し、今年で66年。「オフィスの快適環境創造」をミッションに、オフィス家具やデジタル印刷機の主力製品に加え、近年、ネットワーク構築やセキュリティ対策を含む情報分野でも実力を発揮する。
 事業の礎を築いたのは、謄写版の印刷機。ある年代以上の方々のご記憶では、学校で担任教師が配った週報や問題用紙、また、文集作りなどで活躍した。「国体(太陽国体=72年)があった頃、定価売りで、もうバンバン入った」。樺山社長は、創業者・山下氏の四女・眞由美夫人の伴侶として、会社の成長当時に思いを馳せる。

受賞トロフィーや盾

 創業以来の取引先は、学校や塾、さまざまな業界団体や自治体および外郭団体など。特に学校関係には競争力があり「学需で成長した」。和文タイプの時代を経て、謄写版が発売されるや「爆発的に導入が進んだ」。原紙に鉄筆を走らせ文字を書いた製版作業は、その擬音から、「ガリ版」と称された機材だ。
 謄写式印刷機も86(昭和61)年にはデジタル化され、94年入社の樺山社長も販売を担う。先代からは「〝これを売れよ。売ってからの話しだね〟。そういう(後継者の)気持ちで入社したので意見を言うけど、まず、取り合わなかったね」と、石橋を叩いても渡らなかった國雄氏(16年逝去)を偲ぶ。
 また「今があるのは、そういう時代があったから」。先代の堅実な経営手腕を振り返り、受けた薫陶を語る。一方で、「なんとなくDNAとして、ずっとそういうところから脱却できずにいる部分もある」と指摘。「同じようにして20年後、30年後まで続かないことは、当時の私でも想像できたから」と、ブランディングを強調する。

サービスの紹介

 前職は、南国殖産の機材課で水道資材を専門に営業を担当。30歳を前に将来のことを考えた。そんな頃、義父の國雄氏から誘いを受け決断した。自身は違う道を選択したが、ともに切磋琢磨し、今では取締役になった同期にもエールを送る。
 現在、学校を始めとしたペーパー需要を基礎に、顧客の抱える課題に寄り添い事業を展開。「モノ売りから、コト売りへ」と事務機器の機能性に合わせた新たな価値を提案する。守備範囲が広がるとともに仕入れ先も変化。IT系商社との取引やEコマースの窓口なども担う。
 会社は創業地の鹿児島市武町から71(昭和46)年、同中央町の高見橋電停前に移転(現在、テナントビルとして運営)。その後、鹿屋営業所の開設などを経て、2011(平成23)年、西別府町の現在地に新社屋が落成。翌12(同24)年、國雄氏から代表を引き継いだ。

社屋写真

 当初、まったく別の名を考えていた社名変更。だが「60数年にわたる響きを残さない手はない」と原点回帰。その上で、「ヤマシタジムキ」の響きをブランディングに託そうと考えた。「カタカナにすることでイメージは広がりますよね」。世界的なブランドの多くが、人の名前になっていることにも気付いた。
 さらに、デジタル化が進む社会のありように「ITやDXに絡め、舵を切らざるを得ない」と先を見越す。将来、体制を準備し、情報系メーカーを経て入社した長男の雄太氏(青山学院大学大学院で情報工学を専攻、27歳)につなぐ考えだ。
 ただ、「急激な変革はリスクもある」と、中核部門を大事にしつつ裾野を広げ、柱を立てていく方針。採用活動も中途採用ばかりでは年齢構成もいびつになる。社名変更以来、給与基準やホームページ、ロゴタイプの見直しなどを行い、新卒者の定期採用も決めた。鹿児島市唐湊の出身で、今年9月に還暦。休日はコーギー犬との散歩でリフレッシュする。

更新日:2023年09月

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