鹿児島建設新聞

トーセツ 岩元 尚浩氏 氏

Profile

 飛行機乗りになりたい一心で、創業者の夢を断ち切り飛び出した。国防の一端を担いながらも、人生の挫折を味わう。そんな若者を連れ戻したのは、現在の筆頭株主だった。今年3月28日に満39歳となり、再び夢を膨らます。

 「空を自由に飛びたい」。その一心で自衛隊航空学生の門を叩く。父で創業者の岩元和浩会長は、入隊式終了後、「会社を継いでもらう夢は諦めた」と尚浩氏に伝える。母親は、「一度きりの人生」と応援。海上自衛隊のパイロットとして、任官以来10年余り、空から日本の領海防衛の任務を果たしてきた。
 人には人生を変える出会いがある。尚浩氏を連れ戻したのは、神奈川県で医療に従事しており氏の二度目の伴侶となった同社取締役の真由美夫人。「世界一の妻が筆頭株主で雇われ社長なのです」と尚浩氏。厚木基地に勤務していた当時、知人がセットした合同コンパで知り合った。
 「会社経営を決断させてくれた理由は妻との出会いが8割、残り2割が母の病気と70歳を過ぎても仕事をしている父を超えたい気持ちだった」と回想。「経営の世界でもフライトできる」と目を開かせてくれたという。

社員の集合写真

 れいめい高校卒業後、島根大学に進学。前妻とは、高校時代から打ち込んだテニスを通じて知り合い、互いに夢を目指す。再挑戦した航空学生に合格し、大学を中退。6年の歳月を経て、自衛隊幹部の3等海尉に昇進し結婚した。
 その後、ハワイで一カ月にわたる多国籍軍との訓練「RIMPAC2012」に28歳で参加。日本の素晴らしさを肌で感じた一方、当時の「夫婦生活のあり方に疑問を抱き始めた」と、人生の転機を振り返る。
 日々の任務や訓練で命を落とすこともある自衛官。キャリアを磨こうとしない夫人の選択を受け入れられず30歳で離婚。「逆風の中でも、夢や目標に向かって我武者羅に人生を歩む楽しさを共有したかった」。人生訓に「死に方を考えるとき生き方が決まる」とする氏にとって、優しさの裏返しだった。

社屋外観

 2017年度末、2等海尉で退官。入社前は自衛隊の「鹿児島地方協力本部」で約2年、広報活動に従事した。入社5年後の22年4月、社長に就任。この間、計5人を採用、ベテラン2人を含む7人で現場をこなす。完成工事高は約2倍の1億3000万円まで引上げた。
 入社当時は、社員も3人で「会長自身、人が入らない」が口癖だった。採用で大切なことは、「夢と魅力を見せること」。自らの思いや目指す事業をホームページやSNSに打ち込んだ。「面白い技術が詰まっている。今でも毎日が発見だらけ。空調の未来を拓きたい」。
 企業理念に掲げたのは「誠実」、「教育」、「笑顔」の3本柱。人との出会いを通して、理想の経営者像を捜し求めた。そして、揚力の発生原理を、会社が受ける上昇気流として表現。飛行機の翼をシンボルマークにした。

海自パイロット時代の写真

 自衛隊では、P3C(対潜哨戒機)の搭乗員11人の機長(戦術航空士)として国防の一端を担った。中学1年次、新田原基地航空祭での体験が原点だった。
 「戦闘機乗りのように一匹狼ではなく、クリュー一丸となって任務に挑んできたことが、経営判断を支える力になっている」。空を飛ぶ夢が国を守ることに繋がったことは、生涯の誇りだ。
 現在、県冷凍空調工業保安協会青年部に所属。「横の繋がりは業界の将来を支えること」。また、青年会議所や倫理法人会では、「入会しなければ出会えなかったであろう方々と苦楽を共にできる。それが、絆となり、一層鹿児島を強くしていくはず」と関係団体との活動にも期待を膨らます。

更新日:2023年03月

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