鹿児島建設新聞

久永 久永 修平 氏

Profile

中央大学理工学部管理工学科卒業。卒業後、㈱リコーに入社、4年半勤務。その後、㈱久永の東京支店で3年仕事をして帰郷。2001年(平成13年)に3代目社長に就任した。現在節目の20年目を迎える。リコーに入社した時、社長の浜田広氏が鹿児島出身で、多くのことを学んだ。「仕事は相手へのお役立ち。企業間競争はお役立ち競争」と教えられ、それ以来「お役立ち精神」を仕事の「道しるべ」としている。息子2人の4人家族。鹿児島市出身の59歳。こだわりは競合他社との差別化。目指しているのは久永の強みを活かした「久永ブランドづくり」。

 同社は1919年(大正8)に建築金物・一般金物類の販売会社として最初の産声を上げたのが始まり。1922年(大正11)に祖父の泰二氏が25歳の時「将来は計量器が社会の中心となる」とメートル法発布に伴い鹿児島県知事に度量衡器の販売免許、商務大臣に製造免許を出願。竹製物指しの製造販売からスタート。昭和になって、マニラ麻製の煙草植え付け縄を考案、専売局の指定に採用され、全国へ販売、久永の基礎を築いた。「とにかく物づくりにこだわるアイデアマンでした。」と、創業者の歴史を振り返る。創業当初から〝はかる〟(測る、量る、計る、図る)ことを基軸に事業を継続、2代目、3代目へと、その意思は連面と受け継がれてきた。
 1946年(昭和21)には、従来の個人組織を改組、久永度量衡株式会社を設立。1963年(昭和38)にグループ会社の㈱久永コンサルタント、1964年(昭和39)には、鹿児島リコー㈱を設立した。その後1967年(昭和42)には㈱久永建装、翌年の1968年(昭和43)には富士マイクロ㈱と立て続けにグループ会社を設立。1972年(昭和47)には、久永度量衡㈱から㈱久永に改称。2009年(平成21)には鹿児島リコー㈱を分割し、久永情報マネジメント㈱へ社名変更した。時代とともに業容を拡大、グループ会社を設立し、名称も変えながら業務転換も図ってきた。

ショールーム写真

 バブル経済の崩壊後も、これまで培ってきた歴史と総合力で、お客様のご支持もあり難局を乗り越えてきた。物(商品)から事(情報・サービス・環境)への提案型営業に変革を図り、お客様に役立つソリューションを提供するため「はかる」軸にした「久永ブラント」の確立へ力を入れる。
 経営理念として、社是は、ひさながの頭文字になぞらえて「ひ」飛躍せねばならぬ光栄ある実績を目指して「さ」最大の努力と根性をもって「な」和やかな人格の完成と生活の向上に「が」がっちり手を組み頑張ろう。 社訓は「誠実であれ、自信を持て、忍耐強くあれ、努力し工夫せよ」。そして、スローガンは「TRY NEXT 常に挑戦し新しいものを創造する企業を目指す」と、社員全員が一致結束してモチベーションの向上を図る。

現場写真

 久永は2019年6月(令和元年)に創業100周年を迎えた老舗企業。100周年を記念して、鹿児島、宮崎、埼玉で開催した「ソリューションフェアー&セミナー2019」には約1300人が来場し、久永の提供する「ポジショニング(建設測量)、ICT(クラウド・WEB会議、セキュリティ対策)、ビジネス空間(オフィス・ヘルスケア)、働き方改革、BCP対策、SDGsの取組」など様々なソリューション展示やセミナーを開催し、久永の総合力を十分に発揮出来た。

オフィス写真

 久永社長は、「100周年のその先へ」新たなスタートとして、最も力を入れているのは、SDGs経営。それは、「誰一人取り残さない」豊かな未来の創造と持続可能な社会の実現に貢献する企業を目指す事。SDGsの趣旨を事業計画に取り込み、①多様な人材が創造性を発揮し活躍できる環境づくり②個人の健康と家族の幸せの環境づくり③5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)と「もったいない!」意識の徹底と環境配慮型社会づくり④安全・安心・快適な「まちづくり・空間づくり」⑤イノベーションによる企業と地域の発展と新しい市場づくりを目指して活動している。そして、SDGsの17番目の目標は〝パートナーシップで目標を達成しよう〟です。社員、お客様、メーカー様、地域の皆様と共に協力し、成長し、「誰一人取り残さない豊かな未来」の実現に貢献したい。次の100年に向けて、「久永にしかできないお役立ち」を「久永ブランド」として、お客様に提供して行きたい—と、熱く思いを語る。

更新日:2021年4月

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