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「正直であれ!」を企業理念に据える

環境の時代へ解体工事業を強化し、結束

(株)吉丸組 代表取締役

吉丸 義博 氏

YOSHIMARU YOSHIHIRO

PROFILE

 国学院大学経済学部卒業後、株式会社竹中土木九州支店に就職、3年間勤務後、家業を手伝うためにUターン。管理部、専務、副社長を経て平成5年から現職。地場建設会社の三代目として経営手腕を振るう。温厚な人柄で人脈も広い。「周囲の人たちに支えられ、ここまで来られた」と、変化の激しい業界に翻弄されながらも、地道な経営を積み重ねる。現在は妻と次男の3人暮らし。長男は地元の設計会社に勤務。趣味はゴルフと読書、家庭菜園。鹿児島市出身の66歳。会社は同市玉里町20−40。

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吉丸 義博 氏

作業風景 「常に正直であれ!」と、背中で示し続けた創業者の姿勢が同社の企業理念の基礎になっている。「企業は人なり 人は姿勢なり 姿勢は心なり」と文言は変わったが、企業モットーにしている同社の人間力、技術力、機動力を育てる根源になっている。「職人気質。とにかく正直で真っすぐな人。損得勘定を考えない頑固一徹な親爺だった」と、亡き父親の言葉と面影を重ねる。その思いを心に刻み、今年で自分とほぼ同じ年を重ねる創業66年を迎えた。
 同社は、旧満州の錢高組で現場監督をしていた父親の國夫氏(平成2年に79歳で他界)が敗戦でシベリア抑留を経て帰国、昭和26年8月に鹿児島市小山田町の地で創業した。戦前の米盛建設勤務を活かし裸一貫で、この業界に参入した。「鹿児島工業高校建築科を卒業して、旧満州の錢高組時代に培った技術が経験値として生きたのでしょう。酷寒の地で苦労した父のことを想像するだけで頭が下がります」と、父の苦労を偲ぶ三代目。引き揚げ後に砂や砂利、間知石などの資材収集販売からスタート、紆余曲折はあったが高度経済成長の波に乗り、宅地、ゴルフ場の造成など総合土木業として堅実な歩みを積み重ねてきた。終戦後、海外からの引き揚げ者拠点だった舞鶴港にも足を運んだことがあり、記念館を訪ねた時に「親父は、凄まじく強い人生を生きて来たのだなぁ」との感慨を強くしたそうだ。
 「苦労の末、厳しいシベリアでの抑留生活を経て引き揚げてきた父も大変だったと思いますが、それ以上に経理担当のおふくろの内助の功が大きかったと思いますよ」と、同時に母親・典江さん(平成6年に79歳で他界)の苦労も偲ぶ。
 伝統のある老舗企業を引っ張ってきた兄で2代目の泰生(よしお)氏は、会長を退き関連会社・株式会社エコフロント西部の社長兼相談役。その後を引き継ぎ、しっかりした基盤固めをしてきた。社長に就任して早くも24年。「公共事業が減少、厳しい時期もありました。鹿児島市を襲った平成5年の8.6水害などもあり、さまざまなことを経験する中でなんとかやって来られたことに感謝しています。兄の助言も貰いながら、辛い時は親父の『常に正直であれ!』の生き様を思い浮かべ、裏切ることがあってはならないと、歯を食いしばってここまで」。ホッと口元をほころばせた。
 

解体現場 建設業は、事業量の確保に加え、仕事の効率・迅速化など機動力が求められるが、質も大切と社員の資格取得、技術のレベルアップにも努力。労働安全衛生、環境、品質のマネジメントシステム審査認証制度の登録も強化、企業の総合力アップを図る。
 創業以来、土木一式、とび・土工・コンクリート工事、舗装工事が中心だったが、2回のオイルショック等で日本経済が足踏みする中で、都市再開発に伴う道路、河川、下水道工事などに事業の領域を拡大。昭和47年ごろから解体工事に参入、鹿児島県解体工事業協同組合の一員として組織を立ち上げた。これが業種の幅を拡げることになり、一つの大きな事業の柱に育った。バブル崩壊後、環境の時代が来ることを予測して先鞭をつけたことが成功につながった。現在理事長を務める鹿児島県解体工事業協同組合も来年には鹿児島県建造物解体業連合会と合併し、会員120社を超える一般社団法人鹿児島県解体工事業協会を発足させる予定。昨年新業種となった解体工事業のさらなる発展を図りたいと語る。
 循環型社会には不可欠な存在となった解体工事業。高度な施工設計、施工管理、最新機器・機械導入、オペレーター育成、廃棄物の収集運搬、中間処理、資源再生化など、未来を切り開く力が求められる。そのためには人材育成が欠かせない。オペレーターなどをしっかり育て、魅力のある仕事として定着させる必要がある。建設業界の課題も同じく若手の担い手育成。「優秀な人材が高校、専門学校、大学卒業後に県外の大手、公務員などに流れる傾向に歯止めがかからない状況が続いている。今後も仕事の魅力度をさらに高めて、県内企業に留めさせる工夫が欠かせない」と強調する。

 会社を持続発展させるポイントは「同じ目標を共有して一緒に前へ進むための力とやりがい」と、淡々と語る。また、社団法人鹿児島青年会議所の理事長を経験したことが会社経営をする上で、大きな支えになった。「異業種の方々と交流したことで意識や視点を変えることができ、いい経験になっている」と、今でも感謝する。
 創業者の「常に正直であれ!」に加えて、「新時代の建設業を予見する眼を曇らせてはならない」との教えを守り、次世代へ向けて次の一手を考える三代目。「お陰様で。ありがたい」と、感謝の念も忘れない。