鹿児島建設新聞

プランテムタナカ 田中義郎

Profile

鹿児島実業高校機械科卒業後、家業の田中鉄工所に入社。営業部長、専務取締役を経て平成10年から代表取締役社長に就任。この間、バブル経済、リーマンショックなどを経験、「技術も大切だが営業をしないと生き残れない」と、自社の技術をアピール、三代目として会社の経営を安定軌道に乗せる。一級土木施工管理技士、管工事施工管理技士、熔接技術などの資格を所有。子供は二女一男。現在妻・恵美さんと2人暮らし。趣味はゴルフ。歴史上の人物・西郷隆盛を尊敬、好きな言葉は敬天愛人。鹿児島市出身の63歳。

「これが創業間もないころの新照院の工場。後ろには母校の校舎が…。そしてこれが初期の船用焼玉エンジン。それに田中式ポンプ。これは田中式花鰹削機を刻した鋳物の銘板」。応接室に飾られた写真を見上げて感慨深げに説明する義郎さん。そこには祖業としてポンプ事業を興した田中鉄工所の歴史と技術を守り通してきた技術者の自信があふれる。

同社は、祖父の美義さんが1923(大正12)年に創業した田中鉄工所が始まり。独自の技術を駆使して田中式渦巻ポンプ、舶用焼玉エンジン、田中式鰹削り機などを開発、当時としてはまだ珍しい新機軸の製品を次々に生み出し、焼け野原になった戦後の鹿児島市で復興への土台を築く企業として注目された。父の一郎さん(現会長)が二代目として事業を継承、基盤固めを図り「地道にコツコツ」という伝統を刻む中で、時代の変化と市場の需要ニーズに合わせ設計、製缶、機械製作、据え付け、メンテナンスまで一貫して行う総合機械製作会社として業容を拡大、発展してきた。現在では上水・下水・排水設備、農事用設備など多岐にわたる。

創業の地から新栄町、七ツ島と4回の移転を繰り返し、工場敷地は40坪から1750坪に拡大、設備を整えながら成長を遂げてきた。先代からの申し送りは「機械は正直者。てげてげ(大概)が一番いかん。手を抜くな」。この言葉を体にしみこませ歴史を刻んできた。社名もプラントとシステムを組み合わせたプランテムタナカとし、新しい3T(トライ、タフネス、テクニック)のモットーを掲げる。

地道に努力を積み上げる企業姿勢は、今も血筋として受け継がれる。「景気のいい時も悪い時も、どれだけ踏ん張れるかが大事。しっかり責任を持って最後までやり遂げることで、顧客との信頼関係が育まれ、顧客満足度も向上する。その上に経営の土台は築かれる」。機械器具の製作・設置業を通じて、地域、社会に貢献する〝水の創造企業・プランテムタナカ〟を目指す三代目の義郎氏は、こう言って胸を張る。

入社後、7、8年現場と工場を回った。そこそこ仕事もあり、いいものを作る技術力も育っていた。しかし、県外からの注文などは少なく、生産性を上げるのが課題だった。自社の製品と技術力には自信があったがPRが足りないことに気づき、営業に本腰を入れ始めた。建設新聞の入札情報を頼りに営業をかけるが最初は門前払い、教えてもらった二次下請けなどを回り、「技術を見てください」「弊社の製品を使って下さい」と、年間計画を立て訪問を繰り返すうちに受注が増えるようになった。「タナカさんは、いい仕事をするね。モノもいいよ」と、口コミで評判になり、これが安定受注につながった。この時のことを「営業に回らなければ一人の技術者で終わっていたかもしれない。転機だった」と振り返る。

社員も増やし、営業グループをつくる一方、技術スタッフのレベルアップで難易度の高い専門職の国家資格取得には資格手当を支給、力量評価表を作り、多能工化を奨励、モノづくり集団化に力を入れる。働きたいと申し出があれば女性も積極的に採用、人材として育っている。「社員のやり甲斐を見出すのもトップの仕事」と、個とチーム力を大切にする。無理な納期を承知の上で仕事を引き受け、前日の夜中3時にやり遂げ、感謝されたこともある。頑張りどころで成果を出せば、顧客の信頼度も上がる。「会社として勝負するためのキーワードは全員で力を合わせる総合力。いかに顧客満足度を上げられるかにかかっている」と、三代目はトップセールスをしながら会社を引っ張る。

「大きな進歩の影には、地方の企業の小さな発想が存在する。今を生きるために未来に伝える使命を果たしたい」。水環境創造企業の原点は、手作りのポンプだ。

更新日:2018年9月

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