鹿児島建設新聞

日本ジオテック 今村貢

Profile

薩南工業高校土木科卒業後、道路建設会社に就職。試験室で働きながら大学の土木工学科(夜間部)を卒業。卒業後帰郷、地場の地質調査会社に入社。2年半後、高校の先輩に誘われ測量設計コンサルタント会社を設立し、約10年間役員として従事。しかし、その後退社、平成元年10月に現在の会社を立ち上げた。来期は節目の30年を迎える。公益社団法人 鹿児島県地質調査業協会理事。妻・睦子さんと息子2人の4人家族で、現在は夫婦2人暮らし。2人の孫が遊びに来るのが楽しみ。趣味は、妻との小旅行とドライブの外、たまに行くゴルフ。会社所在地は鹿児島市伊敷台6丁目。南九州市川辺町出身の62歳。

業務は地質調査が主体。地味に見えるが奥が深い仕事。地質調査は、調査ボーリング・土質試験・各種探査。ボーリング応用土木工事は、地下水・温泉掘削・地すべり対策など。また近年は法面工事などにも職種を広げる。これらは大規模建造物やインフラ整備を行う際に欠かせない仕事。地層や地盤などの特性を把握し、安全性・耐久性などを高めるためには何をしたらよいかなど、目に見えない部分を的確に判断・解析する。安心、安全を支える地質調査のプロとして、大切な裏方の役割を担う。

この仕事に就くきっかけになったのは、恩師のひと言。すでにゼネコンから内定通知をもらっていたが、「働きながら学べる会社があるよ」と、声を掛けてもらったのが大きな転機となった。まだ、右も左もよくわからない時に、将来を考えての的確なアドバイス。「ただ、ただ感謝の思い」で受け入れた。昼は建設会社の試験室勤務、夜は大学。正直言ってきつかったが、地質の基礎を勉強するうちに自然と興味がわき、眠気を振り払いながら専門的知識を身に着けた。

「恩師のひと言がなかったらどうなっていたか」と、振り返る。「いろいろな人に支えられ、今の自分があり、会社がある。だから人の和、つながりを大切にしてきた」と、会社の経営理念には〝人の和〟を挙げる。

温泉掘削現場全景

創業当初は4人体制。夕食を済ませた後、朝まで会社で過ごしたことも度々。技術を売り物にしている業種だけに、「まず資格取得」と自ら机に向かうが、社員から「資格取得は自分たちに任せてほしい」と言われ、それ以来、仕事を獲ってくるトップセールスマンに。今年も年頭挨拶で「この足で県内全域をくまなく回る」と宣言、営業の最前線で奮闘する毎日だ。

地質調査会社では最高峰レベルといわれる技術士の資格取得は難関。技術士をはじめ関連する資格者を何人抱えているかで、その企業のレベルが判ると言われるほどだ。資格取得を積極的に支援する。現在社員は18人。技術士、RCCM、地質調査技士、地すべり防止工事士、土木施工管理技士、地質情報管理士、さく井技能士など、延べ50数個の資格を保有する。でも、まだまだ足りない。会社の技術部へは『先人からの技術を若手に伝え、住みよい環境を次の世代へ』が合言葉だ。

日本は災害が頻発しやすい脆弱(ぜいじゃく)な国土。地域差や土壌の特殊性もあり、100本掘って100パターンの地層が出る。現場を踏査し、現場とデータを照らし合わせる。経験からの解析力が問われる。特に鹿児島はシラス・ボラ・コラなど多岐にわたる。歩く、探る、解くがキーワードだ。

横ボーリング工

この仕事は受注産業。いかにして人と知り合うかが大事。『人脈の開拓、つながりが大切』と、社員にも人の和を強調する。顧客を得、顧客のニーズに対応した正確なデータを提供し、事故ゼロの現場作業の安全管理に努め、スピード感を持って顧客満足度を高める。そして品質マネジメントシステムの継続的改善を図ることを品質方針に掲げる。

目指す企業像は「なんでも安心して依頼され、そして期待される企業へ」。プロとしての技術、腕を磨き、人と社会をつなぐ。決しておごることなく、謙虚に仕事に向き合いながら職場環境を整える。

平成9年、3回目となる移転場所に新社屋を建設。完成と同時に社名を社員から募集、㈱日建エンジニアリングから㈱日本ジオテックに改めた。でっかい名前には日本の大地(ジオ)を探求する思いが込められている。

更新日:2018年3月

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