鹿児島建設新聞

古川建設 古川龍子

Profile

東郷高校家政科、MBC調理師専門学校を卒業後、居酒屋の手伝いをしている時に美伸さんと知り合い結婚、経理事務をしながら二級土木施工管理技士の資格を取得。夫の死去に伴い平成23年に社長に就任。高校時代には、部室が遊び場的存在となっていた弱小クラブの卓球部を県大会出場に導く活躍をした。趣味は踊り、ゴルフなどが好きだったが、「今は忙しくて何もできない」と笑う。好きな言葉は「人の痛みがわかる人間に」。会社所在地は、薩摩川内市東郷町斧渕4680。娘さんは県外に就職、現在息子さん2人と3人暮らし。同町鳥丸出身の55歳。

夫の急死でなれない事業を継承して5年目。息子2人とスタッフに支えられながら〝愛和の経営〟で一歩ずつ前進する。その原点は若い頃培った、おもてなしの心。母親が営んでいた居酒屋に飲みにきた主人との出会いによって土木会社の経営トップの道を歩むことになった。「従業員さんたちが働いてよかったと思える会社にしたい」と、経営を切り盛りする。

今年で創業51年目。歴史的には中堅の領域に入りつつあるが「業績面ではまだまだ。とにかく内容の伴ういい仕事で地域に貢献できるように努力し、当面の目標は完工高一億円越え」と、前を見据える。

現場のパトロール風景

同社は、昭和40年4月に県職員で治山事業を担当していたこともある美伸前社長の父・一美氏(平成元年に63歳で他界)が生コン事業とブロック製造業を創業したのが始まり。その後、前社長の母・文子さん、美伸さんへとバトンタッチ。

創業者の一美さんは、寡黙で職人気質。地域に貢献する企業を謳い文句に北薩の地場企業として社会インフラには欠かせない土木事業の基盤を築いた。主力の生コン事業は、組合の再編などもあって経営者が交代、現在では別企業の経営になっているが、事業分離後も同社は地域の土木事業を担う中堅企業として発展してきた。主な業種は、土木、とび・土工、舗装で公共・民間の土木全般。直近の完工高は5000万円強。従業員は7人。

この間、建設業界は平成の大合併を機に市町村の統合が進み、地場企業も減少、受注獲得競争は年々厳しさを増し各社とも生き残りを賭けた戦いが続いている。

経営環境が厳しさを増す中、それなりに業績も安定期に入った平成23年に美伸社長が49歳の若さで急逝。龍子さんは、美伸社長の姉・令子さん(現在、㈱ひろ建設代表)から「ここで古川建設を潰したくはない…」との言葉に、「腹をくくって決断した」と、4代目社長に就任、現在に至る。

しかし、龍子さんは元々は引っ込み思案な性格。途中でギアを入れ替えるというより、前社長が残してくれた信用と全スタッフに支えられ、チームワークによる全員経営に取り組む。「姉の令子さん夫婦をはじめ、周りの方々にいろいろなことで助けられ、支えられて今の自分がある」と、語る。

まだ経験は浅いが商工会東郷支部の女性部会に加入、地元の梅マラソンやまつりなどのボランティア活動に積極的に参加。同業者である㈱鹿越の上江川知美社長らと知り合い、「同じ女性経営者の凛とした姿に励まされ、いい出会いに勇気をもらっている」と、研鑽の毎日だ。経営者としてのあり方を高めながら、社員とともに成長している。

朝礼では、その日の段取りや打合わせを行っており、毎日明るい笑顔で送り出すのが日課。

龍子社長の経営の原点は、実の母親・和子さんが営んでいた居酒屋を手伝っていた頃のおもてなしの心。引っ込み思案だったが、接客で自分を磨きながら成長した。「この時の経験と人脈が今に生きる」と、話す。

今後の課題については、若手の入職促進と、現場の無事故、無災害を掲げる。「ベテランの経験値を作業に生かし、若い人を育て夫が残した信用と財産を守り、成長していきたい」と、社員とのコミュニケーションを図るなか「〝愛和の経営〟で一歩ずつ着実に」が目標だ。

美伸社長の急逝後、不安な中で経営トップの椅子を守り続けてきたが、子息で長男の文裕さんが専務取締役に就任、次男の裕大さんも仕事を手伝うなど、三本の矢で経営を支える。

「主人が亡くなっても従業員さんたちが、だれ一人として辞めなかった。これが大きな財産。日々、報・連・相の徹底で『安心安全創業企業』を経営理念にまい進したい」と、龍子社長は前を向く。

更新日:2016年7月

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