(株)和田機動建設
代表取締役
上釜 正己 氏
UEGAMA MASAMI
上釜 正己 氏
PROFILE
 甲南高校、鹿児島大学農学部を卒業。税理士事務所勤務を経て和田機動建設へ、平成16年に三代目社長に就任。一級土木施工管理技士、同建築施工管理技士、測量士補以外にも、一級建設業経理事務士やファイナンシャルプランナーほか、多岐に渡る資格も持っている。趣味はソフトボールをはじめとする球技全般。好きな言葉は、経営理念にも添えた向上心=B家族は夫人、子ども3人の5人暮らし。鹿児島市出身、指宿在住の47歳。
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税理事務所からの転身

人脈大切に異業種分野で業容拡大
向上心を理念に掲げ、デジアナ融合の経営

農業 建設業に付随する仕事に異業種分野の事業を加え、攻めの姿勢で経営基盤の安定化を図る。三代目は、これまで培ってきた歴史と技術を継承する中で細やかな戦略を掲げ骨太経営にチャレンジする。先代がこれまで築いてきた「感謝・協和」の理念に「向上心」を盛り込み、時代の波に乗り遅れないようにデジタルとアナログの融合経営に力を入れる。「需要の取り込みと経営の安定。その環境づくりが自分の役割」と言い切る。

 同社は義理の祖父・和田敬造さんが昭和21年に建材会社として設立。その後、義父の隆穂さん(現会長)が重機運搬、回送、コンクリートポンプ車などの事業を拡大、和田機動運輸から和田機動建設に社名を変更、昭和54年に法人登記、経営を安定軌道に乗せた。社員16人を率いる娘婿の正己社長は現在三代目。

 事業の内訳は公共(元請・下請)工事が約70%、民間約30%。「我々が生活する指宿市は、薩摩半島の最南端に位置。観光が主要産業だが、それでも物流と人材の流れは昔に比べると活力に欠け、建設業界の受注量のパイは限定される。あらゆる業種に目を向けながら土木事業に付随する仕事を核に地道に需要拡大を図ることが生き残りの道」と位置づける。「今までは公共依存型で通用したが、バブル崩壊後は厳しい。公共事業の事業規模は縮小傾向を見せており、今後は営業を強化し、エリアを拡大しないと生き残れない」と、将来を見据える。
 元々、鹿児島大学農学部出身。県庁建設部・農政部にも多くの同級生・先輩・後輩がいる。いろんな友人のアドバイスなどもあって、知識を生かし6年ほど前から温暖な気候を利用した農業事業に参入、オクラ、スナックエンドウ、キヌサヤなど特産の野菜栽培に取り組んでいる。現在の栽培面積は、まだ5000uと少ないが徐々に規模を拡大、成果も上がりつつある。今後の農業法人化も見据えて頑張っている。

 会社としてのこれからの課題は「人手不足への対応」と「若手の入職促進」である。約3割が会長時代からの従業員で高齢化が進みつつある。20〜40歳代も6人と、順調に育ってはいるものの、いかに経験と技術を伝えていけるか正念場を迎えている。「土木・建設業は、昔ながらの職人かたぎも手伝って育成面で難しい面もある。重機類の免許をはじめ、建設業には欠かせない特殊技術・資格取得については会社を挙げて支援、徐々にその芽が出つつある。将来へ向けて、従業員が『やりがいのある仕事』として感じられる環境を整えることが自分に課せられた使命であり役割」と力を込める。

ソフトボール審判 会社の経営理念には「常におかげ様の気持ちで接する感謝≠フ心、みんなが手を取り合い連携・協調する協和≠フ心、そして新しい時代を担い、常によりよいものを創造し探求する向上心=vの三つを掲げる。社長就任時に新たに3つ目の向上心を加えた。「みんなをひとつにまとめ、常にブレない経営」を最重点項目に据える。

 過去に戻るが、大学2年の時にアルバイトで貯めたお金を握り締め、単身バイクで日本一周をした経験を持つ。約3ヵ月かけて野宿しながら、北は北海道・日本最東端納沙布岬まで走り抜けたそうだ。この時の体験を「見知らぬ土地、見知らぬ方々からいろんな事を教わり助けていただいた」「決して自分一人では生きてゆけない世の中を実感」「何事にも動じない精神力を培うことができた」と、振り返る。

 高校卒業の時、同級生3人で「将来、会社を創ろう」と喧々がくがく議論、中身まで詰めたこともあるという熱血漢。「自分には会社の中身(経営学)を学ぶ事が必要。経営コンサル的な仕事が性に合っている」と大学卒業後、紆余曲折を経て税理士事務所に就職、約5年間税務活動と経営コンサル的な業務に従事した。
 その後、結婚を機に会社経営のポストへ。「最初はプレッシャーもあった。人を使うのが一番大変」と、身をもって理想と現実の違いを実感することに。今後の抱負については『継承』の二文字を掲げる。「デジアナ経営を進める中で熟練者の技術を若手に教育指導する。異業種にも果敢にチャレンジし将来売上げを現在の1・5倍ぐらいにはしたい。そして夢の持てる業界構築へ向けて社員一丸となってベクトルを合わせ着実に前進」と飛躍を誓う。異業種交流を通じて人脈を拡大、本業にもつながっている―と語った。

 趣味では、小学から始めたソフトボールを現在も続けている。小学校のスポーツ少年団から女子高校ソフトボールチームの指導経験(コーチ)もある。第一種審判員の資格も持ち、休日には公式審判員として全国レベルの大会でも活躍している。「2020年オリンピックの年には鹿児島で国体が開催される。ソフトを通して将来を担う若手育成に関われたら」と意欲を見せる。「公私にわたり、ほとんどの週末も家に居ない事が多い。ここまで自分の好きな事をやらせてもらえたのも、家族の協力があったからこそ。これからも頭が上がりません」と、最後はちょっと照れた。