(有)鬼塚鉄工所
代表取締役
鬼塚 建一 氏
ONITSUKA KENICHI
鬼塚 建一 氏
PROFILE
 樟南高校普通科、鹿児島測量専門学校を経て地元の田島組に勤務、家業を手伝い4年前から社長に就任。測量士補、二級土木施工管理技士、解体技士の資格を持つ。趣味は剣道、釣り、サーフィン。好きな言葉は一期一会。家族は美由紀夫人と子ども3人の5人暮らし。薩摩川内市入来町浦之名出身の37歳。会社の所在地は同町浦之名88。
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着実に前へ一歩一歩

精度上げて下請けから元請けへ 仕事と教育で支え合う社会実現

建設施工例 まさに昔の村の鍛冶屋さん≠引き継ぐ三代目。「将来、自社の技術で何ができるか常に考えている」と、先代社長が築いた基盤を踏まえながら次を見据える。「比較的受注のある土木工事で会社の基盤を築き、将来は専門の鉄骨建築で食っていけるようにしたい。それが今一番の目標。歴史は長いが技術も知識もまだまだ」と、語る。

 名刺を渡したら会社の名前を思い浮かべてもらえる企業にしたい―と、人脈づくりに一生懸命の毎日。人に会うごとに、まず会社の売り込みを最優先している。「どこにあっけ?ではダメ。名刺交換と同時に、ああ〇〇さん、と呼ばれるように人脈づくりを急ぎたい」と、毎日、多くの人に会うことを最近の日課にしている。

 主力の事業は、土木、鋼構造、舗装、とび・土工。創業の成り立ちが鉄工所だけに元々鉄工建築が本業。祖父の兼雄さんが宮之城から入来に移転、昭和10年、村の鍛冶屋として興したのが同社の始まり。その後、二代目の父・勝雄さんが引き継ぎ、農場や倉庫建設などで事業の基盤を拡大、4年前に建一さんが三代目社長として継承したばかり。
 勝雄さんは、寡黙で昔ながらの職人かたぎ。「仕事は見て盗め」という主義。高校卒業後、専門学校を経て帰郷したものの、仕事がなく地元の建設会社に就職、ここで現場を学んだ。家業のことが頭から離れることはなく、4年前に実家に帰り、仕事を引き継ぐと同時に社長になった。
 鉄工所の仕事と言っても真似事をしたことはあっても本格的に会社経営に携わるのは初めて。戸惑いもあったが、「なんとかしなければ…」という思いが強く、日々勉強の毎日。地元の建設会社で培った技術を経験に仕事を受注、少しずつ事業を拡大してきた。
 「最初は投資」と、古くなった鉄工所の設備を更新したり、積算ソフトを導入したりと、お金もかかったが会社の態勢を整え、再スタートを切った。そうこうするうち鋼構造物の注文も入ったが難しい曲線加工などは対応できず、外注に出したこともある。
 特に鉄骨建築物は、高い精度を要求され、ミリ単位の作業が必要で、ある程度のレベルがないと、そう簡単には受注できないことがわかり、CAD設計についても猛勉強した。「できないと仕事が減る実力の世界。まずは、引き受けてやってみる。そして考え工夫して実践する」と、毎日が試行錯誤の繰り返しで実力を磨く日々が続く。
 課題は、人材の採用・育成。「土木事業で体力をつけ、鉄骨建築などの受注を安定させたい」と語る。

児童クラブ また、自分の子どもの成長に合わせ一昨年は入来小学校のPTA会長を1年間引き受け、今年4月からは、入来ひまわり児童クラブの運営委員長を任された。「人との出会いを大切にすることを掲げている身としては、断れなくて」と苦笑いする。児童クラブについては、設立準備から運営までを手掛け、まさに地域の子どもの育成に携わっている。学校近くの民家を借りて改装、役員4人でシフトを組んで放課後に集まった子どもたちの面倒を見る世話係。
 平日は放課後の午後3時過ぎから午後6時半過ぎまで。土曜日は午前7時半から午後6時半までと、長時間。毎日24人の児童が参加する。「けががないように毎日元気で明るく楽しく」がモットー。パッと花が咲いたように明るくと、ネーミングも自分たちで考えた
 「学校の宿題をしたり、図書館の本を読んだり。晴れた日には近くの山城に登ったり、庭で遊んだりと子どもたちは元気。毎日、子どもたちから元気をもらっています。私たちが関わることで子どもたちが元気に真っ直ぐ育ってくれれば…。元気なあいさつが指導の基本」と、先生≠ニ慕われる鬼塚委員長。社長職とはまた別の顔を見せる。
 子どもたちを側面から支えるボランティア活動は、まさに地域を支えるお父さんとしての役割も果たしている。